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普通に暮らす人々

こんにちは。

み○もんたや、坂○忍が、
なぜメディアで人気があるのか、
とても不思議に思う数学講師、一世です。

「普通」という言葉、良く耳にしますね。
自分も時々使ってしまいます。
普通はそうだよね
普通は違うよね
普通はそんなことしないよねー
しかしこの「普通」という言葉、
何を基準として、普通と決めるのでしょうか?

何年か前のこと。
スーパー銭湯に行き、
風呂上がりの着替えをしようとしていると、
凄い勢いで僕の肩に何かが当たりました。
ビックリして振り返ると、
ハゲたおっさんが白目を剥いて倒れていました。
こりゃ大変だ!と、
すぐにおっさんに駆け寄りました。
白目を剥いている上、
口から泡も吹いているので、
下手な事も出来ないと思い、
店員さんを呼びに行こうと顔を上げた時です。

そこにいた人たちみんな何事も無いように、
髪を乾かし着替えに勤んでいました。
一人もこちらに関心を示す人はいませんでした。

一人もです。

あまりに殺伐とした光景に、
僕は何か悪い夢でも見ているような気分に
なりましたが、
こうしてはおれないと店員さんを呼びに行き、
ハゲたおっさんも
酔いが酷く回ったのが原因らしく、
事無きを得ました。

が!
ビックリしたのはこの後です。

一応救助に関わった僕なんですが、
意識が戻ったハゲオヤジは、
僕に一言も声をかけることなく
店を出て行きました。

なんか空いた口が塞がらないというか、
ホント虚しい気持ちになりました。

あの時僕らに関心を示さなかった人たちは、
「普通」に暮らす人たちでしょう。
普通に仕事に行き、
普通に家庭を持ち、
普通の生活を送っている人たちでしょう。
多分2〜30人はいたと思います。
しかしこれでは恐ろしいことに、
誰かがマズイ状況になっている時に、
関わろうとする人の確率は、
1/20か1/30ということになります。
自分がぶっ倒れたら、
見捨てられる可能性の方が圧倒的に高く、
また普通に暮らしている人のほとんどは、
人助けに関心がないということになります。

そしてまた、助けてもらった側も、
一言の感謝の言葉も
言い表せない人がいるということです。

なに偉そうに自慢話して人批判してんだオマエ
と思う人もいるかもしれません。
でも僕は、出来ること、当たり前のことを
しただけです。
人が目の前で倒れて、
何もしないのが「普通」なのでしょうか?

でも悲しいことに、
この普通の人たちによって、
世の中が回っているのもまた事実です。


愛の反対は、憎しみではなく無関心である。

マザーテレサが残した有名な言葉です。
何でもかんでも、
困ってる人の助けになれるとは思ってませんが、
せめて目の前で倒れた人には
声をかけることが出来る人間ではいたいです。




ベテル英数塾

 

 

 

 

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