こんにちは。数学講師の一世です。
先日の体育祭で心が折れて、
ふと昔のことを思い出したんで、
短編小説?的に書こうと思います。
今から24年前…。
当時中学3年。かったるい勉強。仲の良い友達もいるが、ウザいヤツも多いクラス。キレると発狂して教室のドアを蹴っ飛ばす担任。好きな子(片思い)に会えるからいいかとしか思えない、うだつの上がらない学校生活。
部活は水泳部。ヤクザのような顧問のスパルタ指導と、キツイ練習。早く引退してえと、いやいや続けていた。
そんなパッとしない、いつもモヤモヤした気持ちで過ごしていた中、唯一熱くなれたのが、
柔道だった。
前途したように、部活は水泳。柔道部が無かった為だ。当時足利市に住んでいたのだが、市内の道場に月、水、金、片道7kmの道のりを自転車で通う。帰りが11時過ぎになることもしばしば。僕の塾生で自転車で通って来る子は、ほとんどいない。家が近くても車で送り迎え。時代も変わったものだ。でも僕が特別なのでなく、当時の道場の中学生は、それなりの距離でもみんな自転車で通っていた。
小学の時、いじめがキッカケで始めた柔道。
クソが付くほど弱く、何度も辞めたいと思っていたが、いつの間にか帯の色は白から黒になり、この当時は一般の大人たちとも勝負できるようになっていた。投げたり投げられたり、ヘロヘロになるまで稽古することが、楽しくて仕方なかった。
柔道では中体連に属さない僕が、唯一参加できる大会が、年に一度開催される「市民柔道選手権大会」である。
試合形式は、学年別体重無差別のトーナメント。
要するに、学年の無差別最強決定戦である。
流行り漫画「キングダム」的に言えば、
「至強は誰か!」と言ったところか。
この大会、1年時は惨敗。2年時は惜敗。3年は一花咲かせようと、中学最後となるこの大会に向け、練習を積んできた。
目標はベスト4。正直自信もあった。なので試合当日は、緊張感よりも、自分の力を試したい高揚感の方が勝っていた覚えがある。
開会式が終わり、武道館に向かう途中、
道場の先生に声をかけられた。
「お前運が悪いなー 一回戦、G田だよ」
高揚感より、緊張感が激しくなった。
つづく。